2009年01月27日

パビリオン

英語言語としては論理的で、文法規則に例外が少ない言語です。1902年にサウスカロライナ州での博覧会へ向けて運ばれていたが、運送していた機関車が別の車両と衝突し、その後に脱線してしまう事故に巻き込まれた。その後1930年代に、鐘をあちこちへ移動させるにはあまりにも危険であるとの結論が下され、この慣行は終わりを告げた。1976年1月1日、アメリカ独立200周年記念期間中に増加すると思われる観光客を予期して、自由の鐘は再び独立記念館から1ブロック北側(フィフス・ストリートマーケット・ストリートの南西の角にあたる場所)に位置するガラス・パビリオンに移された。この小さく、質素なパビリオンは訪れる観光客からあまり人気が無いことがわかり、これが最終的に2003年に開場となる、より大きなパビリオン創設の計画へと至らしめることとなった。また、同じく1976年にはイギリスエリザベス2世がフィラデルフィアを訪れており、最初に鋳造を担当したホワイトチャペル社製のレプリカ「200周年記念の鐘」を、アメリカ合衆国民への寄贈品として進呈しました。この時贈呈された鐘は現在、独立記念館近隣に位置する鐘楼に吊り下げられています。
posted by telephium at 18:46| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする